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「林能楽部」能・小鍛冶”KYOTO de petit能2021/11/25 文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業”

写真2021年12月31日

「小鍛冶」

作者:不明 曲柄:四五番目物*1 季節:不定

①勅使(ワキツレ)より剣を作れとの勅諚が宗近(ワキ)に伝えられる。

刀鍛冶の名匠・宗近の元に一条天皇の命を受けた勅使・橘道成がやってきます。

一条天皇に霊夢があり、宗近に剣を作るよう勅命が降りたとの事、急ぎ剣を作り、天皇に献上するよう道成は宗近に宣旨を伝えます。

宗近は困ります。剣を作るには、自分に劣らない相槌が必要なのですが、その相槌がいないのです。勅使にはそう伝えるものの、こればかりは帝の不思議な夢のお告げが発端なのでどうしようもありません。

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勅使は言い募る宗近に再度宣旨を伝えると帰っていきます。

☝︎勅使は舞台の右側に座りますが、宣旨を伝えて帰ったと考え、いないものとします。

 

 

②困った宗近は稲荷明神に詣でようと思いつくと不思議な童子に話しかけられる。

宗近はさらに自分の想いを語ります。

「これは大変な事になりました。こうなれば神頼みをするしかもう道がない。そうだ、私の氏神の稲荷明神に参上して祈願しよう。」

すると、話しかけてくる不思議な声。

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「のうのう そこのお方は三条の小鍛冶宗近にていらっしゃるか。」

不思議な佇まいの童子に「どなたか。」と尋ねる宗近の質問を無視し、さらに童子は宗近の悩みを言い当てます。「剣を打てとの勅諚があったのだろう。」

「なんで知っているのですか」と聞く宗近を「壁に耳あり岩に口ある世の中。」聞き流し、童子は言います。

「大君の恵みが行き渡ったこの時代であればその恵みにあずかり御剣も立派に打てない事はない」はずなのだと。

 

③童子による剣の威徳の一人語りが始まる。

景行天皇の御子、日本武(ヤマトタケル)が東夷の退治の勅を受け、激しい戦いを続けた。その結果、夷たちは兜を脱いで降参した。これが朝廷の御狩の行事の起源でもある。

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そして頃は神無月の20日過ぎ、四方の紅葉も冬枯れし遠山にはうっすらと雪が積もっていた。そんな景色をヤマトタケルが眺めていた時、夷が四方を囲み、枯野の草に火をつけたのである。さらには火焔の矢。タケルは剣を抜いた。そして四方の草を薙ぎ払う。すると剣の精霊が嵐となって炎も草も吹き返され、猛火は逆に夷に向かい、数万騎の夷はたちまちに滅ぼされた。その後四海(天下)が治まり民の家々は戸を締める事を忘れても安心できるような御代となった。

これはその草薙の剣のおかげと聞いている。宗近が打とうとしている剣もそれに劣ることはあるまい。宗近は刀鍛冶として続いてきた家の当主、安心して家に戻るがよい。

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④剣を打つ壇を整えよと言うと稲荷山の方へ消え失せる童子。

「とてもありがたい話ですがそもそも誰なんでしょう」という宗近の質問をまた無視し、童子は言います。

「ただ私を頼りにしなさい。勅命の御剣を打つべき壇を作って私を待ちなさい。」

 

そして夕雲の稲荷山の方へと行方も知らずいなくなってしまったのでした。

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(中入り)

⑤宗近の下人(間狂言)が現れ、これまでの経緯と宗近が勅命を受けた理由、剣の威徳を改めて語り、壇の飾りを急ぐよう促して退場する。

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⑥宗近が壇を作り、祈りを捧げる。

宗近は勅命に従って壇に上がると、不浄を隔てる為、注連縄を七重にめぐらせ、幣帛を捧げこう祈った。

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「仰ぎ願わくは、宗近は一条院のこの御世に刀鍛冶としての名誉を受ける事になりましたがこれは私自身の力ではありません。そもそもイザナギ・イザナミの国造りの御矛から剣は始まりました。願わくは宗近個人の功名の為ではなく普天卒土、この広く大きい天の下を収める大君の勅命により刀を打つ事にどうかあらゆる諸神よ、力をお貸しください。」

宗近は幣帛を振り、天を仰ぎ、頭を地につけ懸命になって祈ります。

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「謹上再拝」。

⑦稲荷明神が現れ宗近と共に鉄を打つ。

「いかに宗近、勅令の剣を打つべき時節は虚空にも伝わった。我を頼もしく思うが良い。」そう言うと、童男姿で現れた稲荷明神は宗近に三度の礼拝をした。

「さて御剣になる鉄ははどれか」と問われれば宗近も恐悦し鉄を取り出し、はったと打てば、明神はちょうと打つのだった。

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地謡:ちやうちやうちやうと 打ち重ねたる 槌の音 天地に響きておびただしや

(☝︎ちょうちょうちょうと発音されます。)

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⑧出来上がった剣を勅使道成に渡し、稲荷明神は帰って行く。

こうして宗近と相槌の稲荷明神は御剣を打ち奉った。

そして表側には「小鍛冶宗近」と、裏には「小狐」と銘を入れるのだった。

打ち上げた刃には雲が乱れ、かの天叢雲とも言える御剣であった。

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稲荷明神は「天下第一とも言える二つの銘を持ったこの剣、四海を治め、五穀成就の世をもたらすであろう。私は汝の氏神である。」

そう言うと、小狐丸(剣のこと)を勅使に捧げ、「これまでなり」と言い捨て、また叢雲に飛び乗って東山の稲荷の峯に帰って行ったのだった。

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おわり

相槌稲荷神社:小鍛冶で宗近が詣ろうとしていた神社。東山区粟田口中ノ町、粟田神社の向かいにあり、実は観世会館からとても近い。また、稲荷神社の神様は稲荷明神であり、狐はあくまで神使である(民間信仰は別)。

 

“KYOTO de petit能 2021/文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業”

*Youtubeに、公演全映像がアップされています。是非どうぞ。

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シテ装束:

前シテ・錆朱地雲竜牡丹厚板  萌黄地雷紋幸菱文様厚板

後シテ・紅萌黄納戸段輪法稲妻杉木立文様厚板 鉄地雲襷変輪法半切

面(おもて):前シテ・喝食 / 後シテ・小飛出

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